思い出をありがとう
実家の猫、ミーコが昨夜天国に旅立ちました。
平成二年生まれで、享年15歳。猫にしたらかなり長生きした方でしょう。
乳ガンでした。だいぶ前にシコリを母が見つけて動物病院に連れて行ったけど、高齢だし手術で恐怖を味あわせて寿命をかえって縮めても…と、一ヶ月に一度の注射と飲み薬で天寿を全うさせることにしたようです(既に手遅れのようでした…)。
しかしながら動物とは逞しいもので、去年夏に帰省した時も、引越し前に帰省した時も、随分痩せたなーとは思ったけれど、ご飯も普通に食べていたし、テリトリーのパトロールも欠かさず元気そうでした。随分良く眠るなぁとは思っていたけれど。
シコリが大人の握り拳ほどに腫れて、熱を出して苦しんだ後、シコリが破けて血膿が止まらなくなり、母は古くなったタオルで大量のあて布を作り、一日に何度も取り替えてあげていました。生理用のナプキンが良いんじゃないの?と提案したところ、部屋を汚すことも無くなり、取替えも楽で、父も表裏を確認して消毒スプレーを吹き付けてから上手に交換できるようになったと。
ご飯食べなくなって一ヶ月、水だけ飲んで二週間。いよいよ自分の死期がわかると、一日中寝て過ごし殆ど動かなかったのに、一昨日何度も転びながら、部屋の隅々まで歩いて匂いをかぎ、二階の部屋まで一人で階段を登り(降りることは出来なくなってるので母に抱っこされて)、大好きだったお風呂場の出窓から外をしばらく眺めて、家と別れの挨拶をしたようです。
昨夜父の腕の中で息を引き取りました。死ぬまでだいぶ苦しんだので、間際まで目はギラギラしていて、”死”への恐怖からか、苦しみからか、父母が近くに居ないと声を振り絞って鳴いたそう。やっと解放されて、穏やかな顔で父が作った棺に横たわっています。大好きなカリカリの餌と牛乳と、小さい時遊んだ母の作った毛糸玉のポンポンと、時々齧っていた折鶴蘭の葉っぱと共に。
看取った父母も苦しいここ何ヶ月のようでした。でも、寂しい年寄り二人暮らしを楽しませてくれて、思い出沢山作ってくれた”娘”の最期の苦しさを共にすることにしたようです。動物病院からは、安楽死も勧められたようですが、そんなこととても父母には出来ないでしょう…
「オーイ、オーイ…」と父は声を上げて泣いたそう。一番可愛がっていたからね。人間の娘二人は大人になる前にとっとと実家を離れて、都合のいい時しか帰ってこないし。。。注いだ愛情を文句も言わずに愛らしい仕草で応えてくれるミーコは、父にとって最後の恋人でした。
明日、クリーンセンターという動物の遺骸を引き取ってくれる場所に連れて行くそう。自分の土地に埋葬はしないし、ペット専用のお墓も作らない、と。(ミーコが生きている時は逆のことを言っていたのに)母らしい選択です。自分のためにも、苦しんで死んでいったミーコのためにも想いを引きずらないために、って。毎朝仏壇に線香を上げる時に、ご先祖様を拝んだ後にミーコも思い出す、それで充分だと。。。母は、女は強です。
父がペットロス症候群になりはしないかとちょっと心配ですが。
小さい時、「シャーーッ!」っと威嚇されて、娘は毎回泣いたものでした。大きくなるにつれて、むやみに追い掛け回したりしなくなると、娘の手からお刺身を食べたり、機嫌の良いときは背中を撫でさせてくれたり。人嫌いで子供には、滅多に近寄ってはこなかったけど。。。嫌われても嫌われても、娘はミーコが大好きで、実家に帰るたびに、ミーコとのささやかなふれあいタイムを楽しみにしていました。いまだに猫の縫いぐるみに”ミーコ”と名前をつけて、毎晩抱っこして寝ています。
昨夜は娘と二人で”ミーコ”を抱きしめながら泣きました。
気位の高い綺麗な顔立ちの猫でした。最後までトイレで父母に迷惑をかけなかったと。もう実家に帰っても、のそのそ歩く白くて長い毛のミーコに会えないのは本当に寂しくて悲しい。。。あ~ぁ、私も今朝は一重瞼になってました。。。
「親が死んだ時より悲しい。猫の(犬の)死がこんなに辛いとは…」他所の人の言葉ですが、全く同じことをウチの母も語っていました。。。
なんだか心にぽっかり穴が空いたような気分です。
苦しみのない天国で父母を見守って欲しいなぁ。ミーコ思い出をありがとう。
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