泣いた日(T_T)
昨夜のTBSの特集番組で泣きました。泣かされました。。。
逸見さんのドキュメント。病気を記者会見で公表する時の、自分を見失わない凛とした姿。アナウンサーとしての最後の仕事になったというその会見の様子を見て、涙が止まりませんでした。。。
当時なかなかに売れっ子で、彼をテレビで見ない日はなかった。品が良くて知性に溢れてて、それでいて人当たりが良くてユーモアもある。こんな理想的な男性(人間)が世の中にいるんだ、と感心して見ていました。
順風満帆な人生の上り坂で、素晴らしい仕事に恵まれた働き盛りの彼に、まさかの発病。。。
当時の記者会見でもテレビを見ながら泣いたっけ。
ボロボロ泣いている私を見て、娘は苦笑いのような変な顔をしてたけど。。。
(そろそろいっか、この機会にカミングアウトしちゃえ、とりあえず結果は白だったんだから。)
二月に自己メンテナンス月間と称して市の健康診断へ行きました。日常的に運動してるし、食べ物もかなり気をつけていたし(飲み過ぎはどうだ~?)、年齢の割には?健康にかなりの自信がありました。
血圧は勿論、コレステロールも中性脂肪も標準より低い。よーしよしよし、と思っていたら。。。
”乳がんの疑いあり”で再検査の通知が!ガーーーン!!ショックでした。
私より5歳年下のバレーのチームメイトが、正月明けに乳がんで手術したばかり。彼女は半年後にはなんとか復帰したけれど、無理は出来ずに(させられないし)バレーへの意欲も随分とテンション低くなっていたのでした。
数日後、乳腺の専門外来を訪ねたところ、再検査で黒い小豆状の影のような小さなシコリが見つかりました。ガ、ガーーーン!うっそぉ!
転勤もほぼ決まり、家を探しに行かなくちゃいけないし、引越しの準備も。仕事の引継ぎや挨拶、会議も東京研修も。送別会がありがたいことに10件ほど・・・転校の準備や、中学の部活の会計担当もしてたんだ、会計報告も。。。最後までチームもソフトにも、出られる練習は出てバレーも。
普段の何倍も忙しかった三月の出来事。
私の気持ちは揺れに揺れていました。でもその頃のブログを読むと、案外おちゃらけた話なんかも書いていて、不安な気持ちは仕舞いこまれてる。。。「なんとかなるさ!」いつもは何でもそう思うようにして自分自身を鼓舞してきたけど、本当はそういう気持ちにもなれなかった。
再々検査は細胞診。超音波(胎児を見るエコーと一緒)で患部を探し当て、先生が画面を見ながらシコリに向かって針を刺してシコリの細胞を採取するのです。
深く針が(太いのよ!)体内に入る様子を、先生と一緒に画面を見せられるのよ~。痛いのなんのって…!採取するのに針を何度も上下させるし。。。看護師さんが手を握って励ましてくれてました。
涙目で「こんなに痛いなんて、巨乳の人はさぞかし大変ですね~」なんて看護師さんに聞いたら、大きい人は脂肪が厚い分あまり痛がらないそう。。。神経が脂肪に守られてるんでしょうか。こんなので感度良好なんてイヤッ!!とたいそう腹立たしかったわ。
結果が出るまでまた何日か。その間にも、作業が山積みで淡々とこなしていく毎日。
結果を聞きに行った日は、まだ雪の残る日には珍しい青空。クリニックの窓から見たあの青空を今でも忘れられません。
神戸に引越しして、転校手続きと制服の準備、片付けその他が全部終ったら、入院する病院探しかぁ。。。先生からは神戸の乳腺専門の病院も教えてもらっていました。
半分覚悟を決めて結果を仰いだら。。。シロ。でした。
その日夕方からの会議に出るのに、すぐに青森へ行かなくてはならなくて、でも運転中も頭の中は真っ白。夜の帰り道で泣きながら帰ってきたっけ。
逸見さんの特集を見てから娘に話したら、みるみる泣き顔になって「お母さん、死なないでぇ!!」。。。(って、死なないわよ!)テレビも見てたからね、私ももらい泣きしてしまった夜でした。
昨日の朝は、和室の畳がカビてるのを発見!湿気のバカヤロウ~!!と、これにも泣かされた一日。
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