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2007年2月18日 (日)

仕事と愛と。

すすむちゃんの原点でもあり回帰の場所、四谷。

秋葉原から総武線に乗り変えて、四谷までの沿線界隈を窓の外から眺めながら、同じ風景を毎日すすむちゃんも眺めていたのだと、しばし感傷・・・

夕方遅くからの偲ぶ会の前に、すすむちゃんの四谷のアトリエを尋ねました。こじんまりとしたビルの奥の部屋には、父母や妹、叔父達が集合して、すすむちゃんの仕事場で語らっていました。

主のいないアトリエ。

奥の部屋には大きなデスクとミシン類、型紙やマネキンのボディなど、ついこないだまで仕事の現場として熱い空気が流れていたはずなのに。。。冷えた空気は動かず、その部屋は空間としてだけ存在しているようでした。

お客様に納品前の様々な洋服類。お金持ちの奥様がお好みの、流行に左右されない落ち着いたデザインと、素人が見ても分かる贅沢な布地と仕立て。

春物の様々な柄のピンクの布地の束が、迷子の子供のよう。。。

植田いつ子先生との沢山の写真の数々。

アトリエは、すすむちゃんの仕事と人生の集合体でした。昨年、この広いオフィスに移転して前途は洋々、仕事の幅も顧客も拡大して、自分のブランドを確立しようとしていた矢先の体調不良。。。

様々な想いが頭の中を駆け巡っていた時、奥さんのみよこさんが、アトリエとの最後の別れをさせるために、すすむちゃんのお骨と遺影を持ってきました。

すすむちゃんご夫婦に会うのは、祖父母の13回忌の法要の時以来だから10年ぶり。歳を重ねても、品の良さと美しさの変わらないみよこさんのやつれた姿を見て涙が止まりませんでした。

みよこさんは遺骨をアトリエの机の上に置き、遺影を椅子の上に座らせて、すすむちゃんと語っていました。

「すーさん。一番落ち着くでしょ?もっと仕事したかったねー。こんなに生地あるのにどうすんの~。。。すーさん。。。」

志半ばで若くして亡くなった叔父は本当に可哀想。でも、残されたみよこさんを見るのはもっと辛い。

見るのも痛々しいみよこさん。でも、美しくてしっかりした女性は、すすむちゃんとの別れの儀式も精一杯こなしていました。

愛していたんです、すすむちゃんを心の底から。

お骨になる前の最後の別れのとき、棺の中のすすむちゃんに何度も口付けて、さすって、名を呼んで。私はその場にいなかったけど、その様子を聞いただけで、こぼれる涙をどうしようもありませんでした。

田舎のとーちゃんの父でさえ、「本当にスギ(好き)だったんだなぁ、すすむのごど。。。」と洩らしていました。

「すーさんはオシャレだから、自分の夫ながらいつもドキドキしてたの。出かけるのが私より遅かったから、夜帰ってきて今日もすーさんオシャレ!って思うと、毎日写メ撮ってたのよ~。」

遺影のすすむちゃんはツバの小さい帽子を被って、センスの良いスーツに身を包み微笑んでいます。

子供のいないすすむちゃん夫婦は、お互いを深く深く愛していたのでしょう。

自分を含めて、子供のいる夫婦は家族としての愛はあっても、もう男と女としての想いは希薄になって、向けられる愛情は子供へのソレと変容しているのが殆どかと。。。

死ぬ間際まで密度の濃い愛に守られていたすすむちゃん。

元気でいたら、あと20年以上は大好きな洋服作りに専念し、みよこさんとの静かな愛を深めていったはず。

すすむちゃんの人生の軌跡は、男として仕事の夢を実現にしたことと、男として深く人を愛したこと。

そして、死ぬまで愛されたすすむちゃん。

偲ぶ会では多くの友人や仕事関係の方が弔問にいらして、皆さんに愛されていた事が人柄を偲ばせました。

人を愛するって、心が解放されて生きる励みになる。でもその対象となる人がこの世からいなくなったら・・・考えるだけで恐ろしくて、心細くて自分が自分でいられなくなってしまいそう。

独りぼっちになったみよこさんを思うと、胸が痛い。どうぞお元気で…としか言えなかった。

惜しまれて亡くなったすすむちゃんは、遣り残した事は多くても、良い人生だったと思います。

今は残されたみよこさんが、一日も早く元気を取り戻せますよう祈るだけです。

すすむちゃん、やっぱり早すぎ。。。

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