昨日は大荒れの神戸でした。ふと気がつくと、ベランダに空のハンガーが一つ。。。娘のお気に入りのカットソーが強風で飛ばされて行方不明に~~
先月から我が家も大荒れでした。
娘の進路です。音大進学への夢をどうしても諦められずに、かなり情緒不安定になっていました。先月の誕生日あたりから特に様子がおかしく、態度も悪ければ顔色も悪い、部屋に篭ればすぐ寝てしまう有様。
機嫌悪くピアノを弾いたかと思うと、プイッとすぐ部屋に篭る毎日。勉強も身が入らず(ここ最近に限ったことじゃないけど
)コタツに入って長時間だらだら・・・
今月初めだったでしょうか。私がお風呂に入ってるときに、オトーサンに「やっぱり音大行きたい!」と、とつとつと語ってるのが聞こえてきました。すぐ感情任せになってしまう私に話すより、感情を顕わにしない冷静なオトーサンに話したほうが自分の気持ちを伝えられると思ったのでしょう。
「お母さんにはまだ言わないでね」
聞こえてるよ~~
地声がでかいんだもん。。。一から十までお母さんお母さんだったのに。。。ちょっと切ない。
数日して私から水を向けると、ホッとしたようで真剣に話しだしました。秋に、悩んで悩んで音大行きを諦めたけど、やっぱり諦めきれない、どうしても行きたい!と。
困りました。
来月から高三です。今から目指して間にあうのか、音大目指すほどの才能があるのか、音大出てからの就職はあるのか、学費はどうなるのか。。。
家族で話し合いました。オトーサンは絶対ダメとは言わないけど、一般企業のサラリーマンの常識感覚としての話をしました。音大出ても音楽だけで食べていくのは難しいだろうし、もし一般企業に就職したいと思ってもかなり難しいだろう。。。この不景気で、一般の大学生ですらも相当な就職難。。。将来のことを考えたら、無難な生き方のほうが良いのではないか。
私は。。。出来ることなら娘の希望する道に行かせてやりたい。でも、散々悩んで迷って進路を決め直したんじゃなかったの?数ヶ月経ってなんでまた気持ちが変わったの?受験勉強が嫌になったから?ちょっとピアノを弾けることで友達に褒められてその気になったの?弾くことが好きなだけで、練習は嫌いなくせに続けられるの?たった一年の準備期間で、本気でやり遂げられるだけの根性あるの?考え付くことの問えることを問いました。
語るほどに興奮して、涙と鼻水まみれになる娘。私も決して声を荒げてはいないけど、どうしても詰問調になってしまうし。。。
親は不安です。私もオトーサンも普通のサラリーマン家庭で育って、親戚にも知り合いにも芸術を仕事にしている人はいません。先生や習い事の師として接した事はあっても、そういう職業の人の人生や生活に係わったことがないのです。未知の世界への不安が一番の心配でした。
しかし、娘の意思は相当固く。。。昨年秋に進路を決めた形にしたけど、本当は諦めたくなかった。高三になる前に、叱られても反対されても、音大行きに気持ちが固まってることを言いたかったとのこと。
娘はピアノの先生に相談したいと。。。先回りして、私が先生に今の状況を電話で相談しました。先生は相当驚いて(何でまた今頃と呆れて)ましたが、真剣に話を聞いてくださいました。一年で準備するのはかなり大変だけど、センスはあるし(この微妙なニュアンスに素人は希望を抱いてしまうのだけど)、人の三倍頑張ればなんとかなるのではないか。
昨年末に最後のレッスンで、先生と二台のピアノで一緒に弾いたそうです。弾き終わって感無量になったのか、先生の前で声をしゃくり上げて号泣したらしい。ピアノを弾いて感激して泣く生徒さんは初めてだったので驚きましたが、よっぽどピアノが好きなのねと思ったんです。でも、一般大学に進路を決めた後だったので、余計なことはそのとき言いませんでした、と。
そんなこと娘は言いませんからね~~。それを聞いて、私の方が泣きたくなりましたよ。。。
オトーサンは絶対とは言わないけど反対してること、音大目指すほどの技量も才能もあるのか不安なこと、一年間の娘の頑張りが続くか不安なこと。藁にもすがる想いで、仕事帰りに地下鉄三宮駅構内から電話で30分も先生とお話しました。
その週の土曜の夜に、娘と二人で先生のお宅へ改めてご相談に伺う約束をして電話を切りました。
音大進学に関する、その世界の情報が無いのが不安でした。音大進学を相談できるママ友はいません。神戸に来てからは、近所付き合いは皆無です。
同じ学年の子供を持つ職場の友達Mさんに相談しました。彼女は高校時代に吹奏楽で、中国に学生使節として兵庫県の代表に選ばれたことがあるそうです。大学時代もフュージョン系のバンドをしていたらしい。。。素人の私に比べたら、相当音楽が人生に沁み込んでいる人です。娘のことを相談したら、なんとMさんも嘗て音大を(フルートで)志望していて、高三の夏に音大進学を諦めた経験があるとのことでした!いやぁ~、聞いてみるもんです、びっくり!
音大進路を諦めた理由は、自分の才能に自信がなくなったから、だそうです。専門にしなくても、音楽は逃げないし楽しむことが出来ると。両親の反対も勿論あったし・・・社会科の先生にもなりたいというもう一つの夢を叶える事にしたそうです。(優秀な方なので、進路を変更しても現役でカンカンドウリツの一校へ進学したそう
そこがうちの娘とは大違いだけどね)
優しくて親身なMさんは良いアドバイスをくれました。
「夏に開催される兵庫県学生コンクールに出場をするのも、音大進学への条件にしてみたら?」
神戸に来てから、ピアノコンクールからは遠ざかっていました。自分がどのラインにいるのか、他人との技量を比べる良い機会でも在ります。今は比べる人もいない”井の中の蛙”状態。音大進学の準備をしつつコンクールをクリアして、それでもまだ進路に迷いが無かったら、親は学費の工面して腹を括ったほうがいいかもね、と。
昨年末にMさんのお父様が亡くなりました。今際のきわに「音大に行かせてやれなくてすまなかった」と言われたそうです。お父様は20年以上も胸につかえたままだったんですね。彼女は、今が幸せだし自分で決めたことだから後悔はないと応えたところ、安心して渡っていかれたそうです。
良い人でしょう~~
他人の娘の為に、親身になってここまで話してくれるなんて。。。
娘が良くも悪くも自分で納得しなければ、一生引きずることになります。かといって、親も無条件に希望を飲んであげるには経済的にも苦しい選択。双方折り合いをつけるために、Mさんのアドバイスは貴重なものとなりました。
それでも私の心に大きくのしかかるのは経済的な不安。。。軽く見積もっても、一月20万の学費が4年間。。。4年間でイッセンマンは必要。。。
マジできれいごとは言ってられないワ!!
ピアノの先生のお宅へ伺う日、バレーの練習試合でした。車当番だった私がチームメイトをそれぞれの自宅前まで送り届けるとき、今からピアノの先生宅へ音大進学の相談に行くんだと打ち明けました。
「一人娘やろ!?行かしたり~。」「何処の子も目標なんて無く大学行くのに、夢があるなんて偉いやん!」「将来結婚しても自宅でピアノの先生できるやん~~」「金は何とかなるもんやて。子供のためなら借金してでも行かしたり~!」
皆さん二人三人と子供がいて、高校から私学に行かせたり、県外へ進学した子供に仕送りして、家のローン抱えて共働き。ホントにようやってます。
なんかね、バレー仲間の言葉に勇気が出ました!!みんな苦労して子供の学費工面してるんだもんね~。子供二人を私学に入れたと思えば、やってやれないことはないんじゃない!?
オトーサンにもMさんからのアドバイスとバレー仲間の話をしました。世のお父さんは子供の環境や子供を取り巻く世間の様子を知る術は、嫁からしか無いのが実情。。。「行かせてやれないこともないし、学費はなんとかなるんちゃう?」サラッとOKが出ました~~
先生は、厳しい一年になりますよと娘を叱咤激励しながらも、ピアノと楽典の指導を快く引き受けてくださいました。
自分に甘い娘の気性で努力することにエネルギーが続くのかどうかを見たいので、音大進学への条件として、学生ピアノコンクールへの出場(Mさんのアイディア)を先生の前で娘に提案しました。先生も、最終的な判断を下すワンクッションになって良いかも・・・と賛成してくださいました。
浪人は許さないこと、ピアノは買い替えないこと。先生を立会人にさせて頂いて、進学に向けての親の意向も伝えました。娘は神妙な顔をしつつ頷いてました。
先生のご好意で声楽の先生もご紹介していただき、昨日の土曜日に(バレーを休んで)娘と初レッスンへ行って来ました。
場所は、滝の茶屋。
地下鉄・板宿で山陽電車に乗り換えて、滝の茶屋駅から歩いて10分ちょっと。手描きの地図を見ながら、春の嵐に吹かれ緊張に身を包んでF先生のお宅に着きました。
声楽が専門のF先生は、親族に音楽を生業にしてる人は誰一人としておらず、音大進学を親戚中から反対されたとか。環境としてはうちと似通っていて、とても共感できる素敵な先生でした。
初めてのソルフェージュ。。。新曲視唱もドレミでちゃんと歌ってる~~!私の知らない音楽用語で先生とお話してる~~!だてに長年ピアノ弾いてただけじゃなかったのね!!
娘のレッスンの様子を見るなんて何年も無かった事なので、当然出来て当たり前のことではあるのに、素人の私は少なからず感動してしまいました。。。ちょっと鼻の奥がいたくなったりして。。。
初回は道順も分からないし、先生にもご挨拶しておきたかったので私も同行しましたが、これからは一人で電車を乗り継いでレッスンに通ってもらわないといけません。
田舎娘のことだから、乗る方向を間違わないといいけれど・・・。滝の茶屋駅からは、目の下に瀬戸内海をすぐ見渡せます。行きの電車では二人とも緊張からか険悪なムードだったけど、帰りは海を眺める余裕も出て、小旅行のような気分でした。
遅すぎるスタートですが、やっと夢に向かって走り出しました。
目標が定まって娘もエンジンがかかったようです。
長かった春の嵐はやっと落ち着きを見せましたが、これからが本当の嵐です。
適度に手も口も出しながら、私はマネージャー役として見守ります。
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