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2011年2月25日 (金)

人生の時刻

人生を季節にたとえ、年齢を時刻にするとしたら。

娘は初夏、といったところでしょうか。時刻は午前九時。

芽吹きの季節を過ぎ、若葉が生い茂る、人としての成長の始まり。目覚めた体が、行動を始める、一日で最も活力のある時間。

自分の可能性を信じて、未完成な長い道のりを上ったり下りたり、曲がったりくねったり。

どんな色にも染め上げることのできる、広大な未来の景色が広がっています。

まだ見ぬ夢・希望・期待。

ポジティブな言葉ばかり浮かんできますね。

これから始まる娘の未来を思うと、考えただけでも頬が緩んでしまいます。   

     

私は初秋、かな。

季節も成熟を過ぎ、家族はそれぞれ実りの時期を迎え、しかしまだ人生の彩や煌めきを忘れたくない、贅沢で貪欲な午後二時。

ほっと一息つけるお三時までには、眠気をかみ殺してもうひと踏ん張りの時間。

歩いてきた道のりが、そろそろ色濃く反映する頃でしょうか。

引き返すことも踏み出すことも、もう迷うことは許されない。大人としての責任を肩に感じつつ、静かに踏みしめる毎日。

人生は半分を過ぎて振り返ることも多いけど、それでも自分に正直に丁寧に生きたいと、小さな幸せを見つけては、心の潤いとしたいお年頃。。。

      

昨年夏に原発性肺ガンで肺葉の一つを切除した父に、脳への転移が見つかりました。

今年のお正月明けから痛がっていた背中も、もろくなった肋骨が骨折したためでした。

自分の感情や考えなど、多くを語らない父。

落ち込む母を前に、いつになく明るく振る舞っているようです。

快方に向かうことだけを信じていた父も相当なショックだったはずですが、普段のような辛口の感情を抑え、穏やかに明るく振る舞えるのは、この病気を経験した人にしか分からないある種の達観したものがあるのでしょうか。

来週から入院し、治療が始まります。

昭和十年生まれの亥年。

緩和ケアを重点に、人生の終焉まで、人間らしい楽しみを感じながら、もう少し長く生きていてほしい。

晩秋を過ぎ、紫と橙色に彩られた沈む夕日が、今にも海に届きそうな切ない時間。

小さくなって斜めに傾いだ後姿ばかりが目に浮かびます。

ブログをしてて良かったこと。

自分の、そして家族の記録として残せ、振り返えることが出来ること。

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コメント

私も初秋…
ちぇりぃさんよりちょっと先の、2時半ごろかなあ(*^_^*)
これから人生の果実を、味わいつくすまで「秋」が続きます~♪
神さまは、それぞれに、身の丈にあった「果実」を用意してくださっているのだなあと、、、

お父さまのこと、こんな手短なコメントでは書ききれないですが、
お察しします…
元気が取り柄だった私の実父も、今は病床です。
パートナーさんとの絆の深さを改めて思い知らされています。
人は、自分のために生きているのじゃない、
大切な誰かのために、命を燃やすのだと思います。
人生の終焉は、命の終わりではなく、命の変容。
でも、家族のため、大事な人のために、もう少し待って、そのままでいてほしい…

** TAKAMIさん **

そうですか、TAKAMIさんのお父様もでしたか・・・。
ご心配ですね。。。

病気とは無縁の父でしたので、年老いたとは言っても、枯れて自然に人生の終焉を迎えるものだとばかり思っていました。
娘の勝手な思い込みと我儘な期待なんですが。

>人生の終焉は、命の終わりではなく、命の変容。

父の命もまた、私を通して孫へとつながっているんですものね。

それでもなんとか八十の声を聴くまでは、存えて欲しいです。。。

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