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2011年3月17日 (木)

両親は無事でした。

昨日、仙台の妹が両親に会って無事を確認してくれました。
前日には10時間もかけてガソリン探しに奔走したそうです。

病室からは、引っきりなしに離着陸するヘリが見え、談話室の視界の開けた窓からは、燃える十条製紙や水浸しの石巻市外、多賀城市のガスタンク爆発まで見えて、心底恐ろしかったことでしょう。

父は、妹の消息が不明と思い、毎日毎晩布団の中で泣いてたそうです。
緊急治療で手がいっぱいの病院では、放射線治療もストップし、食べて寝るだけで家族を探しにも行けず何も出来ないと、己を責めていたのでしょう(T_T)

妹が病室に行ったときはウトウトしてたらしく、目の周りは涙が乾いた跡だらけ。。。
すがりついて大号泣されたそうです。

その時の様子を電話で聞いた私も号泣でした(T_T)

母は自宅にいました。
家は無傷でした。
大型家具は全て地震対策していたお陰で、あの大地震でも無事でした。
仏壇の花瓶がひっくり返ったくらい。

ホッとしました…

電気と水道は止まってますが、プロパンガスはOKで、反射式の石油ストーブで暖も取れていました。
食料や水は、ご近所の方々が引っきりなしに差し入れしてくれて、母1人では食べきれない程だったらしく、妹は卵を1ダース貰って帰ったとか。

田舎のご近所パワーで、被災した中でも有り難く生活が守られていました。
実家に帰れたら、ご近所にお礼のご挨拶行脚してこなければ。

斜め向の奧さんが、電池少ない中で、携帯使える圏内から、両親の無事の電話をしてくれました。
自分たちも大変なのに、近所の年寄りが独りで被災したのを気の毒がり、沢山の方が助けてくださいました。
あったかい故郷。。。

しかし、悲しい現実も。

高校のバレー友は、両親と娘を失いました(T_T)

会社が流され、車も流され、家は床上浸水。絶望していた娘が4日ぶりに無事見付かった友達も。

次々に知らされる石巻の友達の状況に、ただただ胸を痛め涙が溢れるばかり。

多くは語れませんが、今、被災関係者が私の職場に詰め掛けています。
皆さん身なりもきちんとし冷静ですが、震災での恐怖や悲しみのオーラのような気がすごく、私は動悸が早くなり手が震え、じっとしていられず全く集中力が保てませんでした。
たぶん、私だけ…
共鳴してしまったのだと思います。

明日、職場に行くのが何だかこわいです。また動悸が早くなり、手が震えそうで。
いてもたってもいられない、あの焦りにも似たこわさ。

妹も地震以来殆ど眠れず、4日で2キロ痩せました。遠く離れた私でさえも、このダメージです。

ハード面の復興も急務ですが、心の傷はどうすればいいのでしょうか。

神様。どれだけ人間を試したら赦してくれるんですか(;_;)

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コメント

縁あって神戸に仮住まいされる方も、かつては、テレビなどで壊滅状態の神戸の街をご覧になったと思います。
現在の神戸の街並を自分の目で確かめて、必ず元気な故郷を取り戻せる日がやって来ると、希望を持ってほしいです。
「1年間神戸で過ごして良かった」と思っていただけるよう、応援していきたいです。
自分自身にたいした被害は無くても、被災地の人間にとって、震災は、心の中の小さな棘となって疼き続けていることは否めませんが、必ず、笑顔で過ごせる日が増えるはずです。

** むっちゃん **

いつも優しい言葉をありがとう。
痛みを知ってる人の言葉は、本当に暖かくて萎んだ心にじんわりと沁みてきます。

私は奥に引っ込んでいましたが、今日も大勢の方々が・・・。今日は、赤ちゃん連れや小さい子供を連れた被災者の方が多かった。。。

「東北の赤ちゃんは、みんな色が白くてほっぺが真っ赤で肌がきれいだね~」

この子たちが二十歳になるころには、きっと故郷が安全で暮らしやすい街になっていることを願います。
阪神大震災から復興した神戸に暮らすのも、きっと励みになりますよね。

ご近所に住む方が優しい方たちであることを祈りたいです。

ちぇりぃさん

ご両親と妹さん、ご無事でよかったです・・
ほんとうにこんなことになってしまって
おかけする言葉も見つかりませんが
節電とか募金とか・・自分にできることを
できるかぎり支援させていただきます。
一日も早く復興しますように。

** もさちゃん **

もさちゃん、心配してくれてありがとう。

両親は無事でしたが、今も不自由な暮らしをしています。
命があって家があるって、ホントに幸せなことですね。

私も心配するくらいしか何もできないのweep
自分で出来ることで家族を被災者を応援していきます。

ちぇりぃさん
ご家族のご無事、何よりでした。
どんなにご心配だったことか…
かける言葉もありませんでした。
微力は非力ではないです。
復興にむけて、ハード面はもちろんですが
被災者が受けた深い心の傷こそ、
これからの長い道のりをいたわりあって、心を寄せ合って、いきたいですね。
書くのは簡単です。
書いていて、虚しくなって何度も消したり書いたり…を繰り返してしまいました。
今できることを少しずつでもして、
私も、東北の町の復興を強く信じて長く応援したいです。

** TAKAMIさん **

時間が経つにつれ、状況の深刻さは増すばかりなのに、ショック状態から気持ちは落ち着いてきました。

両親も妹夫婦も無事、そう言えることが出来て本当に良かったです。
身内を亡くされた方々には大変申し訳なくお気の毒なのですが・・・数キロ先では悲惨な状況が広がっているようです。

何十年先に復興が終わるのか見当もつきません。

「お母さんたちの役割は、次世代を担うあなた達を育てることと現状を維持することで精一杯。それ以上の日本の未来は、これからのあなた達にかかってるんだから、頼んだよ!」

ついつい訓示めいたことが口について出、娘に疎まれています。

避難所で大人たちに交じって活躍している中学生や高校生をテレビで見ると、この子たちがいるなら復興への希望は絶対もてる!と確信します。

長い長い道のりにはなりますが、日本中で見守り応援していきたいですね。

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