父の一周忌
あれから一年。
早いようで、でもやはり長い一年でした。
長いこと両親とは遠く離れて暮らしていたので、会えないだけで、どこからか父がひょっこり現れて来るんじゃないかと今でも思うことがあります。
一年ぶりに仙台空港へ降り立ち、胸が熱くなりました。東北の玄関口は元の姿を取り戻し、すっかり復興していたのです!
昨年は、津波の傷跡も生々しく、仮設の出発到着ロビーで、エアコンのない空港ではグランドホステスさんたちが、汗をかきながら応対していました。
仙台駅までのアクセス線も復旧し、田んぼに転がっていた車や家の残骸はすっかり片付けられ、青々とした田んぼが広がっていたのです。
人間の力って凄い!どんなに自然に痛めつけられても、立ち上がる力で累々と歴史を刻みつけていくんだな。
仙台平野を眺めながら、静かな感動が胸いっぱいに広がりました。
父の一周忌の十日ほど前に、埼玉の叔父が亡くなりました。私は葬儀には参列しませんでしたが、母と妹は通夜と葬儀に参列し、叔父の娘である従妹から「宮城の墓に分骨させてほしい、父の遺言なんです」と大きな宿題を預かってきました。
埼玉の叔父は、中学を卒業後宮城を離れ50年以上。アパレル企業の職人として、業界を長いこと支えてきた人でしたが、望郷の念強く、家族には故郷の土に帰りたいと常々口にしていたようです。
お墓の問題。。。
新しいお墓は用意はするが、分骨はさくっと田舎のお墓に出来るもの。と、都会に住む従妹たちはいとも簡単に考えていたようでした。
父が亡くなってから、いえ病気の介護中からウツに悩まされていた母が、また新たな重荷を抱え込むことになれば、私も妹も更に気が重くなります。
一周忌に親族が集まった席で、菩提寺の和尚さん(尼僧さん)にも相談し、なんとか叔父の遺志を損なうことなく万事解決の方向となりました。まだまだ話し合うことはあるのですが。。。
それから、父の実家の土地の売却について。。。
母が健在中に処分させてもらうことを親族に了承を貰い、本家筋に仲介を正式にお願いすることになりました。
墓も土地も、実家の姓を継ぐことの無い私や妹の手に余る大きな問題です。
父の一周忌が過ぎたら、早めに動こうと母と妹と共に準備を進めてきました。母や親戚が元気なうちに進めていかないと、私たち姉妹に大きな負担がかかってくるのです。
父を悼み偲ぶ法要が勿論メインではありましたが、親族が集まる機会に皆さんの了承を得る絶好の機会が今回の一周忌でした。
朗らかな笑顔で豪快な冗談を飛ばす頼もしい本家の叔父さん。
彼が居るだけで、座が引き締まり安心感があります。今まではその役を亡き父がしていたので、本家の叔父さんは何かと女所帯になった我が家の力になってくれました。
今回も、本家筋や親戚に気持ち良く助けられた法要となりました。
終わってやれやれです。
法要を挟んで実家に二泊し、仙台の妹の新築マンションへ一泊。
仙台で妹と食事したり買い物したりを楽しみにしていましたが、(たぶん)心労とお昼に食べた中華の油で胃腸がダウンしてしまい、せっかくのディナーは軽く一杯(ビールも一口しか飲めなかった)で帰ってきました
とは言いながら、神戸に帰る直前に、バーゲンでカッコいいサンダルを二足買ったんですが
やっと今年の一大イベントが終わりました。
まだまだクリアしなければいけない問題は多々あるけれど、心はだいぶ軽くなったかな。
今度宮城に帰るときは、少しは観光や友達に会う余裕も出来そうです。
明日からは神戸での現実の毎日。
毎日がマラソンだわ~~
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