『神は人殺しを喜ばない』
宗教の正当性を理由に、人類は遥か大昔から自分の宗教にそぐわないものを異教とし、弾圧と殺戮を繰り返し、そしてそれは人種、国益をも巻き込んで21世紀の今も繰り返されています。
純粋に神を崇め、神の痛みをも自分のモノとして分ち(罪からの懺悔としても)、自己の尊厳或いは意識そのものが極端な崇拝のもと、殺人をも正当化する…まるで過去のオウム真理教のような宗教組織に身を委ねた異端の信者…
本日話題の映画の”ダヴィンチコード”を観た感想を一つ。
ヨーロッパの美術はキリスト教抜きには語られないけれど、宗教を舞台にしたこの映画は、聖杯への謎解きとは別に、史実の暴露が、ゆるぎないとされてきたキリスト教の歴史を変え、それに伴う名誉や富の揺らぎに恐れる人間の業をも、ダヴィンチの名作に絡めて露呈してくれました。畏れ多いとされる”神”の名のもと、人間の欲の前には罪をも正当化されてしまう…
ヒロインが叫ぶ冒頭の言葉は、本来の信仰を人間の都合の良いように捻じ曲げ、解釈をつけ正当化しようとするその”罪”に発せられた言葉だと思います。
無神論者ではありませんが、畏れながら、自己の中に神はいる。憚り無く言うと自己の中に神は宿る、という考えです。何かあるたびに”守り”を感じたり、思いもよらない事に”天の采配”を感じたり、目に見えないものへの畏れを感じることは沢山ありますが。。。感謝したり、愛したり、許したり。人としての”良心”が、信仰に値するほどにゆるぎないものだと思うから。今ここに自分が存在し、家族、友人知人、愛する人、モノ、環境の中に身を置けることにシアワセを感じられる。。。
言うのは容易い(>。<)、いつもそう謙虚な気持ちでいられれば良いのですが。(いつも悩み葛藤しする日々ではあります)
まぁ、堅い話はおいといて。
ルーブル美術館。歴史のある美術品の数々は勿論だけど、近代的なオブジェや建造物、その中に込められたメッセージなど、流石!!とうならずにはいられません。この映画が世界各国で封切られ、ルーブルを訪れてみたいと思った人はきっと沢山いることでしょう。
ヨーロッパは生きているうちに一度は訪れてみたいわ~。若いときはリゾートで充分。ジャンキーファンキーなアメリカ(失礼!)観光なんかも今のうちかもね。
そういえばMrs.Tana-kaと歳をとったら女同士でヨーロッパに行こうよ、と話したんだっけ。子供が手を離れたら…家族が健康なのは当然、自分も健康でなければ実現しないことなのよね。いつになることやら…夢物語で終わってしまいそうだけど。
ローズラインを辿って、ルーブルのガラスのオブジェの上に主人公みたいに立ってみたい!そう思ったのは、私だけではないはず。
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