想い

2011年7月23日 (土)

宮城よ、また来るからね

宮城よ、また来るからね
庶民的なお寿司屋さんで、空港行きのバスに乗る前に軽いランチをしました。
(妹のおごり♪)

石巻産金華サバの握りは、宮城じゃないと食べれない。

ランチビールで妹とお疲れ様会だね。

何もかも頼りっぱなしで、いつになく娘に遠慮がちの母でしたが、相変わらず振り回される事の方が多く、実家だからこそ疲れるんだと、今回も痛感させられました(-ロ-;)

私が帰れば、また妹一人の肩にその重さがのしかかります。

ごめんよ〜(;_;)

ワガママで独り善がりの母の手綱を、なんとかさばいてちょうだいね。

神戸から手伝いの遠隔操作出来ればいいのに。

明日からは、私の現実が待っています。

父の思い出を胸に温めて、今を大事に生きていこう(^-^)

2011年7月20日 (水)

台風のお陰で、涼しい〜♪

喪服の帯の跡に、汗疹がびっしり出来た程の猛暑でしたが、台風が涼しい空気を宮城に運んでくれました。

朝方からどんどん気温が下がって、夜は20度を下回っています。

お風呂上がりに、冬物のパジャマを母に借りました。さすがに、ちと暑いけど。

冷蔵庫に冷やしてあるスイカも、寒そうで食べる気がしません(;^_^A

今夜はビールは少しにして、妹と赤ワインを開けました。
暑いと、キリリと冷やした白が美味しいけど、涼しい今夜はブルゴーニュが合います(^m^)

豚のしょうが焼きにアボガドのイタリアンサラダ、ガーリックフランス。

母には珍しいメニューを囲み、女3人、家族の思い出話に泣いたり笑ったりで、かしましくやってます。

早寝早起きの田舎時間もあと少し。

2011年7月18日 (月)

宮城の暑い夏

宮城の暑い夏
父が亡くなりました。

75歳と11ヶ月の人生でした。

長くない父と最後の再会になるかもしれないと思い、会社に長期休暇の相談をしたのが7日。

出掛ける準備と、冷蔵保存する食事作りに1日余裕をもって、翌々日の9日の朝の飛行機を予約しました。

しかし、8日の夜に急変。

父は、母と妹に看取られ、旅立って行きました。

急きょ、家族の分の飛行機を追加予約し、到着した仙台空港から石巻市の自宅までタクシーを飛ばし、納棺前の父に会うことができました。

ゴールデン・ウィークに会った時も、あまりの変わりように動揺したけれど、更に細く薄くなっていました。
高い鼻梁だけは変わらず…

小さくなった頭と冷たい頬を何度も撫でて、親不孝を詫びました。

「明日くんのが?…今どごさいんだっけ?…会いてなぁ…」
三週間前に起きてる父と電話で話せたのが、最後の声となってしまいました。
遠くにいる私から電話がくれば、帰省する連絡と思ったのでしょう。
神戸に住んで6年になることも、失念してしまっていました。

父の「明日…」に間に合いませんでした〓

病気の苦しみから解放され、眠るように逝った父の顔は穏やかでした。

田舎の葬儀は、古式ゆかしく、古いしきたり満載の超フルコース。
本家や親戚筋に助けられながら、厳粛にそして盛大に執り行う事ができました。

初七日まで、母と妹と3人で走りっぱなし。

今も弔問客が絶えませんが、やっと一息つくことが出来ました。

遺影の笑顔を見れば、会いたくて涙も出るけれど、家の中も少しづつ片付くと、父がちょっと留守にしてるだけのように錯覚してしまいます。

この連休明けは、母の役所の手続き等を手伝ってから週末に帰神する予定です。

二週間も休んで、自分のデスクがあるか心配ですが^ロ^;

遺された女3人で、なんとかここまで出来ました。

放っておいてもしっかりした娘たち(^m^)ですが、父の心配は一人残される母のこと。

父の介護で8キロも痩せ、今まで穿いていたズボンは、ベルトをしないと落ちてくるほど。

今は少しずつ食欲と笑顔を取り戻してきたので、ホッとしています。

でも、昼間はいいんです。夜になると、父の遺影の前で啜り泣く小さな背中が痛ましくて…

本当は、週末まで待たずに帰りたいけど(>_<)

相変わらず、日に何度か地震もあるし、心細いことこの上ない母に、もう少し寄り添います。

暑くて悲しい夏です。

2010年9月15日 (水)

おかげさまで…

予定通り、一週間で父は退院しました。

脇の下から背中にかけて30センチも切った大手術にしては、なんと早いこと。。。抜糸する前にもう退院。

体力が落ちないように、適度な運動をするよう退院後の指導があったようです。

じっとしていられない性分だし、食事の好みも煩いし、無口なくせに寂しがり屋なもんだから、退院の日の喜びようは絵に描いたよう、だったらしい。

病気が発覚し、検査・入院・手術と、心と体に負担の掛かる日々が続いたせいか、頑固で気難しかった性格もだいぶ穏やかになったようです。

「やっぱりうちのご飯はおいしいねぇ~ うちはいいねぇ~~

素直な表現が、精一杯の感謝の言葉として伝わってきます。

すっかり可愛いジイサンになりました。

                                        

それと打って変わって。。。

歳を取ると、本来の性格が強く出るというか、本能に対する我慢が利かなくなってくるというか・・・そう、母です

口に脳みそがあるんじゃないの!?と思えるほど、時と場所と相手の気持ちも考えずに、思いついたことを速攻口にするので、本当にヒヤヒヤするんです。

持論は 「家族だったら何を言ってもいい!」

娘といえども、随分とこの性格には悩まされて傷ついたりもしましたよ。母とは対等に喋れる大人になったので、反論したりたしなめたりもしますが、やはり三つ子の魂百まで。70歳の彼女の性格は、何があっても変わることはないでしょう。

世の中は、自分を中心に回ってるという(意味不明?な)自信。。。ま、娘だからこその辛口批判ですが。。。

案外そういうお母さんって、この年代には多いんじゃないでしょうか。。。

母は私の反面教師でもあります

でも、娘ってだんだん母に似てくるっていうから、私も我儘な自己チューバアサンになって、娘から嫌われたりして・・・

父はすっかり丸くなって可愛いオジイサンになったというのに、母はますます扱いにくくなってきました(爆)

母の苦労も知ってるので、その性格を指摘しても仕方ないんだけど・・・

自分のことはさておき、心配の種が尽きません。

シワが増えるわ~~~~

2010年9月10日 (金)

父の入院

父の入院
実家近くの田んぼの風景。
すっかり色付いた稲穂がこうべを垂れています。

無理しても、宮城に帰ってきて良かった。本当に良かった。

…勿論命に別状は無く、入院も1週間程度。入院に至までの経過も、逐一、妹と連絡を取りながら確認してきました。

数回の検査も入院手続きも、全て妹が両親に同伴し、私は任せっきりで安心していました。

娘が11月の公募推薦に合格したら、元気になった父の顔を見に、娘を連れてお正月に帰省する予定でいたのです。

父の入院の二日前の夜、母から珍しく電話がありました。

『親の入院、ましてや手術となれば、娘だったら駆け付けるのが当然!』

心配してる気持ちは、目に見える形でないと納得出来ない母。

父は、遠い神戸からわざわざ高い飛行機代かけてまで、来てもらう必要は無い。と言うに決まってます。心配してる気持ちは、何処にいても伝わってるから…と。

そりゃね、直ぐに会えるんなら何を置いてでも行きますよ。

電話で母と言い争いになり、「薄情な娘で申し訳なかったね!」と電話を切ったのでした。

その後、先に実家に帰省した妹と父とで、母と大バトルがあったようです。

何より、病気の父に対する配慮が一番大事なのに、入院直前に不穏な雰囲気になっていました。

私も売り言葉に買い言葉で、飛行機の予約を取りました。

…まさか、本当に私が父の入院に間に合ったので、『来るのは子供としての当然の義務!』と言ってたにも関わらず、母は恐縮の表情…

母の顔を見るまで、私も随分モヤモヤしてたけど、やはり老いた母のすまなそうな笑顔を見れば、気持ちも氷解しました。

無理して来なくていいと言ってた父も、目元を潤ませてたし…

漫画だらけの孫からの手紙に、またウルウル…

結局手術は予定時間をだいぶオーバーし、7時間半の大手術となりました。

手術室から父が出てくる迄の、不安な時間の長いこと…

術後翌日の今日は、お昼から普通の食事を食べられるようになっていました。
まだ、体には何本もの管や機械が付いており、歩けるのは明日以降になりそうです。

ベッドの上のまだ動けぬ父に「お正月にはまた来るからね!」と手を振り、母に見送られて病室を出ました。

母も父の初めての入院は、不安で仕方がなかったんですよね…。

『妹は一から十まで付き添って面倒みてくれ、遠くに住んでる長女はそれに甘んじて知らんぷり』

こうやって駆け付けて来れたわけだから、無理しても来ようと思えば来れたのですもの。

言われてみれば、母の言うことも当然と言えば当然。

いつも頼りにしている妹も、『やっぱりお姉ちゃんがいれば、気を張らなくていい分、気持ちが楽だった』と。
妹も忙しい時間を遣り繰りし、1人で両親の世話をしてくれていれば、その緊張はかなりのものだったと思います。

1人より2人、2人より3人。家族が寄り合えば、やはり力強い。

帰りの空は、秋晴れの宮城。

後ろ髪引かれるけど、切ない涙を飲み込んで、機上の人となりましょう。

2010年3月 4日 (木)

心は決まった

またまた仕事ネタです。

今月末で解散が決まった現在の職場。先月24日に、業務として唯一残る窓口業務を担当する派遣会社が入札でM社と決まり、A派遣会社の私はM社からの再雇用ということで、上司から就業の確認を頂きました。

入札前、A派遣会社のお人形さん営業は「絶対落としますから!他の派遣会社の人に、だいたいの条件を伝えてもらい、我社への早めの登録を勧めてください」と依頼がありました。彼女は自信満々、お人形さんのような綺麗な小さな顔には見たことの無いような闘志がギラギラ・・・

同じA社の友達と一緒に、他の派遣会社の同僚全員に話として一応伝えました。どうなるかは分からないけど、お人形さん営業も珍しく自信たっぷりだし。しかし、こんなこと現場の派遣に依頼して、会社的にはどうなの!?と思いつつ。。。

しかしながらM社に入札が決まり、8人のうち3人が派遣切りとなることが決定しても、A社の例の営業からは連絡もなし。あ~ぁ、なんだこりゃ┐(´д`)┌ヤレヤレ、とガッカリしていたら、先週末の超・超・超忙しい最中、お客様と応対している私の顔の横に彼女の綺麗な横顔がいきなり近づき「忙しそうなので、今夜お電話します!」と、言いたいことだけ一言言って慌てて帰っていきました。あ、来てたのね、全然気がつかなかったわ┐( ̄ヘ ̄)┌ フゥゥ~

既に、上司から四月以降も残って欲しい旨お話があった後だったので、お人形さん営業は、入札できなかった事と他の派遣仲間を惑わせたことへの詫びの電話をくれるものだと思っていました。が、待てど暮らせど電話は無し。。。ま、彼女なら仕方ないか。。。(今までも担当の営業としては今ひとつ信頼が置けないヒトだったので)

四月からの自分の身の振り方の方が大事なので、M社の営業とコンタクトを取り、条件その他の話を聞いて本登録を待つばかりとなりました。迅速に行動しないと、四月まであと一ヶ月、他の人達にも迷惑がかかるから。

他の仲間もそれぞれの思惑で動いていました。

今月2日の昼休み、A社のお人形さん営業からやっと電話がありました。「業務委託する民間会社のほうから、是非とも○○さん(私)を雇いたいとの事です!条件は更に良いですよ!」 ええぇぇぇ~~~!!?

詫びの電話かと思いきや、M社が入札を決めた途端、A社に委託業者がこぞって窓口業務の引き抜き作戦をかけてきたそうです。四月からの業務委託をする民間会社も、かなり焦っているようで・・・そりゃぁ、短期間で全てを覚えるとなるとかなり厳しい仕事。なので、即戦力となる人材を直ぐにでも欲しいとのことでした。

上司からの依頼もあり、私自身は今の現場に残る気持ちがあること、更新を切られた仲間にその仕事の話を紹介してもらえないかと返答したところ「それは無理です」。。。

民間業者も引継ぎや会議などで何度も来庁しており、よく人を見ていたようでした。

確かに更新を切られた仲間には申し訳ないけど、今の職場内でも若干人間関係に問題があったりお客様とのトラブルも多かったのは否めません。

一番の年長でスキルも無い私に白羽の矢が当たったことは、大変嬉しくありがたい事ではあるけれど、残してもらった上司にも申し訳ないし、更新を切られた仲間に対しても二重の屈辱を感じさせることにもなってしまいます。

しかし、条件は素晴らしく良い・・・。

最低4年間は雇用の契約を確保できるし、フルタイムになるので年収は今の1.5倍以上、通勤距離も短くなります。進学を控えてる娘の学費もかさむしなぁ・・・などと欲が出ないといったら嘘になります。

・・・もう、なんで今頃心惑わすような話を三月も過ぎてから出してくるの~~!話があったんだったら二月末までに言ってくれたら良かったのに!!

返事を待ってくれとお願いした私に、今度は男性派遣さんに言付けたようです。男性派遣さんからも私にプッシュしてくれ、と。

一晩悩みました。。。。。。大げさだけど、これからの人生の岐路を選択するほどに。。。誰かに相談しても、結局は自分の人生、決めるのは私。。。

やはり、今の職場で頑張ります。

これ以上ない人間関係に恵まれた仲間と、仕事が出来る幸せを信じて。

今までお世話になった方々に、背中向けるわけにもいかないし。職場環境上、今まで以上にストレスフルになって家庭に迷惑も掛けれないし。

翌朝はスッキリ(゚▽゚*)

もやもやも葛藤も通り過ぎ、心が決まったら気持ちも軽くなりました。

それにしても、お人形さん営業~~o(`ω´*)oプンスカプンスカ!!

昨日のお昼休みに彼女に電話しました。先ずは民間業者のお断り、そして、彼女のあまりの対応の遅さと姑息な手段をやんわりチクッと釘を刺しました。

『あれだけ自信があるようなお話だったのに、入札できなかったらそれでお終いですか?他の派遣さんたちまで巻き込んで惑わせて、間に入った人間に何か一言在ってもいいんじゃないですか?すごく迷惑かけたんですよ。月を越えての連絡ではあまりに遅すぎます。諦めて自分で動いて当然だと思ってもおかしくないのでは?』言い訳がましく、○○さん(私)が忙しくしていたので、他の人に四月からの仕事の紹介もありますよ~とチラッと伝えたんですけど、ですって。伝言が仕事かと思ってるのかい!?連絡しますと言って、連絡しなかった言い訳を伝言した相手のせいにするなんて

自分の点数稼ぎの仕事の紹介だけが営業の仕事じゃないでしょうがっ!(喉元まで出たけどね、さすがに言わなかったけど)

お局様にイジメられてる若い派遣の子達を気遣ったり、人間関係を円滑に廻すために(女ばっかりだから)まとめ役になって上司に物申したり、時給を頭打ちにされても文句を言わなかった私は、若い営業の彼女にとっては物分りの良いお姉さんとして思われていたのでしょう。

残念がりつつかなり恐縮していましたが、当然よっ!

『この度はご縁がありませんでしたが、またいつかお世話になる機会にはよろしくお願い致します』と、丁重にお断りさせていただきました。

あぁ~あ。これで彼女が営業をしてる間に、何人のA社派遣が去っていったことか。。。信頼関係あっての営業と派遣だと思うんだけど。

                                                   

私の心は決まりました。

職場では様々な思惑と情報と葛藤が渦巻いていますが、きっとそれぞれの元に本当の春が待っていることを願いたいです。

* つぶやきの様な私的で狭い記事にご拝読いただきありがとうございました。

2010年2月28日 (日)

複雑な春です

3月いっぱいで今の職場は解散します。
市の外郭団体の業務が、民間に委託されることになったのです。

まぁ職員は行き先があるとして、嘱託や派遣は4月以降はお払い箱。
春からの身の振り方を考えなくてはなりません。

幸い、窓口業務は一年のみ延長が決まりました。
仕事内容が煩雑で、4月からの民間で一斉スタートは状況が厳しいらしいから。

三社入っていた派遣会社も4月からは一社になり、窓口業務の派遣は8人から5人に。3人が切られることになりました。

私はA社。A社の営業は必死でした。普段はお人形さんみたいな艶然とした表情も、競合に勝たなければ!というシビアな厳しい顔。『絶対取ります!』
いや、取って貰えないとこっちが困るから〜〜

自信満々の営業でしたが、入札で残ったのはM社でした。ガーーン( ̄▽ ̄;)

あ〜、4月からどうしよう…と思いきや、上司から個別に話があり、M社からの派遣として残って欲しいとのこと。

実質的に切られたのは、派遣会社関係なく3人。入札で残ったはずのM社の子も切られました。

一人は秋に入った新人さん。そして私より一回り若く仕事上では先輩のベテラン、もう一人は20代の同期の子。

職員で、残す人選をした結果らしい…

業務知識や年齢の若さが人選に反映されなかったのは、幸いでした。

社会的弱者の方々を相手にする仕事は、人生経験が豊かな(まぁ歳いってるってこと?)人材がベストマッチなのでしょう。
人あしらいは上手な方なので、接客力も見てもらえていたのかな。
残った他の四人も、人当たりがよく優秀な人ばかり。
実際、このメンバーと仕事を続けられたらいいなと思っていたので、上司の人選には感謝です。

しかし、今まで特殊な業務で苦楽を共にした仲間との明暗は、年度末までの残り1ヶ月を過ごすのに、ちょっと苦い空気になりそうです…

超繁忙期で、お互い仕事の話以外出来ない状況がかえって救いです…

上司は、三人の4月からの仕事先の斡旋もしてくれるようです。
以前の‘置物'上司なら投げられていただろうけど、人間味溢れる今の上司は、随分骨を折ってくれています。全く自分の職務に関係ないのに、使い捨ての派遣にここまで気を遣ってくださるとは…(涙)
ありがたいです。

4月からの仕事はだいぶ中味も変わるらしいし、残れるといっても不安がいっぱい。
そうそう、M社にも登録に行かなければ。

残れても一年限定。

複雑な春です。

2010年2月18日 (木)

リセット

超繁忙期が始まっています。
今週月曜日は年金支給ディと重なり、フロアは熱気ムンムン、お祭り騒ぎ。

忙しいのに加えて、精神的消耗が激しい仕事。秋に入った新人さんたちは、既に荒んでいます…。ハートのトゲが増えると、些細な言葉が(些細じゃないんだけどね)引っ掛かかり、怒りの沸点が低くなるので、忍耐の持続力も続きにくい…
ランチ時は愚痴大会(+_+)
そんな時のオアシスは、やはり甘いモノ。一口で食べられるチョコの差し入れが、誰かしらからあります。
お菓子の甘さは心を穏やかにしてくれますね〜
チョコが溶けるように、ハートのトゲも一つ二つ溶けていくよう(*^^*)

新婚ウツ?の友達と食事したり(少し元気になったみたい)、派遣会社主催の無料パソコン教室に行ったり。仕事の後も予定が盛り沢山でした。

今日は1日休みを入れました。

ほっと一息リセットです。

時々調整休みを入れつつ(今月はあと1日)年度末までガンバロー!

充電しないと頑張れないもん

2009年9月 2日 (水)

声フェチ

男性の、低いトーンで滑らかな張りのある優しい声が好き。

例えれば、福山雅治とか。

神戸市営地下鉄の車両アナウンスの方の声が、大好きです。

特に朝の通勤時。

今朝も癒されましたぁぁ~~

今朝のアナウンスも素敵だったけど、もう一人の特徴のある声も好き。

「次は、名谷~名谷~、降り口は右側でっふゅ」「混みあいまして~恐れ入ります。中ほどまで~お進みくだっひゃい

丁寧で聞こえの良い美声。言葉尻を優しく伝えようとしてるのか、私には軽く舌を噛んだ英語読みのように聞こえるのです。

「です」が「defu」  「さい」が「hyai」

夜のアナウンスで、きゅんとくる声の方はいないなぁ。。。っていうか、ちっとも魅力的でない声の人ばかり。

朝のアナウンス、最高!

明日は「defu」のアナウンスだと良いな

2009年8月21日 (金)

うすらぼやっと

自他共に認める、おっちょこちょいです。

よく言えば、天然。 悪く言えば、きっとアホなんやろうなぁ(ここだけ関西弁で言わせて!)。。。

落ち着きが無いのかもしれません。気持ち、せっかちだし、かなり短気だし。かといって、動作が荒くキョトキョトしてるわけではないのですが。。。

よく考えてから行動すれば良いのですよね。

直感に基づく行動力のみで生きてきました。

私自身はそれが何時も良い方向に向かってきたので、生き方に全く後悔はないのだけど。

誕生日でもない日に、バースデイメールを送ったり(送られた人は、?マークでいっぱいだったことでしょう)。休みを間違えて出勤して『何で来たの!?』と言われたり。。。最近は、『また間違えたねっ!』なんて呆れられたり。。。

挙げたらキリがないほど。

見た目、コワソーに見られるので、第一印象は厳しくて真面目なお姉さん。間違いではないけど、怖くはないと思うんだけどなぁ。。。

昨夜、新人派遣さんの歓迎会が内輪でありました。

『○○さん(私のこと)って、怖そうに見えるでしょう~~!・笑!でも、見た目だけ。中身は天然だから!』

『そうそう。うすらぼやっとしたA型だから』

『仕事以外のことを教えてくれるから(なんじゃそりゃ!)』

歯に衣着せぬ仲間の言葉は、飾りが無くて辛辣!!もう少し優しく言ってくれてもいいじゃんさっ!

うすらぼやっとした。。。だって 

どうやら自分を評して私自身が前に言ったんだって。当たってるから反論できないわ。

誰に対しても同じ態度と、人の失敗に突っ込みを入れない。私の信条です。

そして、人の言葉や態度を深読みしない。

相手に合わせすぎて空回りし、自分が傷ついてばかりいたら、優しさや思いやることにさえも臆病になってしまうから。

背筋を伸ばして顔を上げ、眉毛きりりと描いた大人のお姉さま。でも、見た目と違って、中身は人情溢れる浪花節なオバサン。

このギャップが私の持ち味なのよっ

 

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